【第1回】ポディマハッタヤさん捜索

ポディマハッタヤさんとは


まずは、ポディマハッタヤさんについてご紹介。

ポディマハッタヤさんとはスリランカ人黒鉛を掘る炭鉱夫

スリランカ、鉛筆といえばこの人。

と言っても、なんのことかわからない人が大半と、ピンと来る人が少数いると思います。

もう少し詳しく説明すると、現在20代の人が小学生だった頃、国語の教科書に記載されている「一本の鉛筆の向こうに」というお話に出てくる人物の内の1人です。

このお話を覚えている限り説明すると、

簡単に購入できる鉛筆の向こう側には、実はたくさんの人が隠れていて鉛筆が成り立っているんだよと言うような趣旨だったはず。

鉛筆の中枢となる黒鉛を、スリランカのボガラ鉱山から削り取る人がいる。

木の部分を、アメリカの森林から伐採する人がいる。その木を運ぶ人もいる。

そして日本に運ばれた木と黒鉛を鉛筆に仕立て上げる日本人がいる。

それだけいろいろな人たちの労力によって作られた鉛筆。

鉛筆の裏側には実は様々な人たちの関わりがあるんだよ。ということを示す作品。

小学校課程で学習するすべての国語の教材の中でも、記憶に残りやすい作品だったと思います。

そして、ここからメインの話、

この「一本の鉛筆の向こうに」が当時の子供達の心に強く残った所以として、先ほど説明したスリランカの炭鉱夫であるポディマハッタヤさんが一役買っています。

ポディマハッタヤさんという語感の良さ、炭鉱を掘る男らしい写真。朝晩はカレーを食べると言うインパクトが強いキャラクター。どれだけカレー好きやねんと。

地元の小学校では、もはやブームを通り越してポディマハッタヤんさん炎上状態でした。

大人になってから「一本の鉛筆の向こうに」を読んでも響かないかもしれないですが、彼には小学生を引きつける魅力がありました

そして、なんとその人気は現在においてもなお続き、彼に関するホームページをいくつも見つけることができることに驚きます。

20代を今もなお魅了し続ける「ポディマハッタヤさん」って誰…?

ポディマハッタヤさんとは(ニコニコ大百科)

小学校の国語の教科書にあった『一本の鉛筆の向こうに』を1年に一回は思い出す。

Twitter Search ポディマハッタヤ

最後のTwitterサーチを見てもらえればわかりますが、現在においてもなお一定数のつぶやきの対象となっており、さらには「ポディマハッタヤさんbot」というbotまで作成されている。

誰がフォローするんや、これ。

ま、前置きが長くなったけれども簡単に言えばかく言う自分も小学生時代、ポディマハッタヤさんに魅入られた少年の一人。

今なおその名前が忘れられずにいます。

そんな大人気なポディマハッタヤさん探し

これが今回のスリランカ滞在のテーマ

きっかけは、友達が「スリランカ行くんやったらポディマハッタヤさんでも探してこいよ。」と連絡してくれたこと。

よくポディマハッタヤさんがスリランカ人って覚えてたなと思う。それぐらい強く印象に残ってる人物なのです。

その友達は冗談で言ったんやと思うけども、それ聞いたときに思った。

「ポディマハッタヤさん探すとかクソおもろいやんけ。。。」

コレはどう転んでもおもろい。

ポディマハッタヤさんだけでもおもろいのにガチで探すって、まじでおもろい。

「ポディマハッタヤさんに会ってきたで!」

言いたい笑

人生で一度は言ってみたいフレーズ。

マレーシア辺りからは、もう頭の中はポディマハッタヤさんについてばっかりやった。

ネットでポディマハッタヤさんについて調べまくった。

デマらしいが落盤事故で死亡したとかいう情報まで流れてた。

今年で71歳らしいが、ご存命かどうかもわからない。

そこで1つの記事を見つけた。

今から10年前に実際に会いに行った日本人がいるとのこと。

ま、まさか既に会った人がいたとは!

先を越されたなあと思いつつもこれはポディマハッタヤさんに会うということが不可能ではないということを証明してくれている。

それ以前に会いに行こうと考える日本人が他にもいたなんて、、、笑

恐るべしポディマハッタヤさん

それからも俺は色々ネットで情報を集めた。

「ボガラ鉱山 行き方」「ポディマハッタヤさん どこ」

驚くほどまともな情報が出てこない。

基本、小学校時代の思い出話ばかり。

グーグルマップで「ボガラ鉱山」と入力してもどこも指し示さない。

おお、、、なんかこれ、、、

燃えてきた笑

スリランカまでいくつかの国を回ってきたけど大体のことはネットに載っていた。

「ドミトリー 泊まり方」「タイ ラオス 国境越え方」「シェムリアップ アンコールワット 行き方」「スリランカ ビザ取り方」

便利な世の中である一方、何か物足らないと思う自分がいた。

なんかが足りない。

こんな旅でいいのか?アドベンチャー感に欠けてないか?

ネットで示された通りに進む。

なんかおもろない。

ちょうどそんなことを思ってた頃に、突如現れた冒険譚。

少年の心のかがやきを取り戻した気分になった。

そんなわけで、全身全霊をもってポディマハッタヤさんを探すことに決定しました。

コロンボ到着


スリランカ到着後は、空港近くのネゴンボという地域に泊まった。

初のスリランカカレーに驚きつつも

「おお、これがポディマハッタヤさんが毎日食べたというあのカレーなのか、、、。」

という気持ちで食べた。ポディマハッタヤさんに少し近づいた気がした。

ネゴンボはのどかな場所だった。

一方、ポディマハッタヤさんに対する手がかりは掴めなさそうな町だった。

試しにカレー屋の店主にポディマハッタヤさんは知ってるか?と聞いてみたが知らないようだった。(空港到着時の旅行代理店の人にも聞いたが知らなかった。)

やはり有名なのは日本だけらしい。

手がかりがない。手がかりを求めて、都市部のコロンボに向かった。

ホステルのオーナーさんに教えてもらったバリバリ現地人が使うタイプのバスに乗る。

空調はない。なんならバスのドアもない。バスに一歩乗り込んだ瞬間にもう進み始めている。とてもスリリングなバス。

たった20ルピーでネゴンボからコロンボに移動できた。格安。

コロンボ到着。

思ったよりも都会。商売人の声がうるさい。

そして、次のホステルに着いた。

JAPANESE CLASSES IN SRI LANKA


ここからが問題。どうやってポディマハッタヤさんを探すか。

いくら困っているとはいえ、流石に日本大使館には聞けない内容。

そこで過去にポディマハッタヤさんを訪問した人が残した記録を見つけた。

ポディマハッタヤさんコミュのポディポディ調査隊 結果報告

mixi懐かしい。

ポディポディ調査隊。

なんか笑ける。

そして、そこで貴重な記録を発見。

「住所は、コロンボ日本人学校の職員の方から直接お聞きしました。 」

おお!いけるやん!

コロンボ日本人学校に行けば住所がわかる!

この瞬間、ポディマハッタヤさんがもうすぐそこにいる気がした。

そして、コロンボ日本人学校のホームページで検索!

さてさて、場所はどこにあるのかな〜?

そこに大きく

「本日より終業式を終え春休みに入りました。」

の文字が。

ぐぬぬ、まさかの春休み!!!

スリランカ年中暑いから春もクソもないやろ。と悪態ついたところで仕方がなし。

どうしよう。

他に何かスリランカと日本を結ぶ場所はないか。

謎のスリランカ人を探す怪しい日本人が突然訪問しても大丈夫そうな団体はないか。

ググりまくりました。

そして、見つけたのが

JAPANESE CLASSES IN SRI LANKA

日本語を教えてるところらしい。たまたま今日授業があるらしい。コロンボから1時間〜2時間ほどの場所にあるらしい。

思い立ったが吉日。善は急げ。

ホステルに荷物を置いてすぐに列車に乗った。

車内と切符。切符はダンボールみたい。

駅から見た風景。

列車。

風を感じている現地の方。

そんな初のスリランカ列車経験を経て、JAPANESE CLASS イン スリランカさんの本社に着いた。

ドキドキした。

しかし、あえて深く考えないようにしてドアをノックした。

少し大柄なスリランカ人の女性がいた。40代くらいだろうか。

英語で必死に伝えた。日本人であってバックパッカーとして旅行をしていること。ポディマハッタヤさんという人を探していること。日本の教科書に載っている炭鉱夫であること。知っている人がいれば連絡先を教えて欲しくてここにきたこと。

必死に伝えた甲斐あって俺が不審者でないことぐらいは伝わったと思う。

日本語がわかる人に電話するから待ってろと言われた。

しばらくして電話を渡される。

「ハイ、コンニチワ、アナタハダレデスカ?」

片言の男性が電話に出た。日本語でもう一度同じ話をする。

「トリアエズ、キョウハ、モウヤスミナノデ、アシタコレマスカ?」

「もちろん明日来させていただきます!」と返答する。

「アリガトウ、ソコノオンナノコニ、カワッテモラエマスカ?」

(女の子なんてここにはおらんけどな)と思いながらも感謝の意を伝えて、おばちゃんに電話を渡した。

そして、コロンボのホステルに戻った。

結果


今日は、ポディマハッタヤさんについての情報は全く得られなかったが、とりあえず飛び込みで日本語の授業を行う会社の人と接触できた。

明日、何か良い情報が聞けると嬉しい。

この後どうなったかはまたの次の記事にて。

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